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2025年4月12日土曜日

【父性】クライミングは真の男になる場



🧗‍♂️**「命を預ける」関係性に潜む心理的リスク 〜クライミングと“父性”の話〜**

クライミングは、ただのスポーツではありません。
それは、他者に命を預ける、極めて相互依存的な活動です。

とくにアルパインやマルチピッチなど、命綱を介した「リードとセカンド」の関係は、
心理的には信頼・倫理・責任感に支えられた“見えない契約”でもあります。

ところが、現実にはこの関係がねじ曲げられている場面が少なくありません。


🧠 見えない危険:「男性性」が暴走し、「父性」が不在なとき

一部のクライマーには、

  • 筋トレや高いグレードを登ること「強さ」ばかりを追い求め、

  • ロープワークやレスキューワークの無知という「自分の弱点を認識せず」、

  • 相方の命を預かっていることの倫理的重みを感じていない
    ――そうした人もいます。

これは、“男性性(支配・誇示・挑戦)”だけが肥大化し、“父性(守る・導く・責任を持つ)”が未発達な状態です。

この歪んだバランスのまま、リードに立つと、「山は自己責任」という言葉が、相手に責任を押しつける免罪符になってしまいます。

逆に言えば、伝統的なアルパインの世界観では、ある人がリードを預けられていない時、その人の中には、「リーダー性」つまり「他者の命を預かる責任感」が育っていません。

命の危険があるときですら、「落ちなければビレイは要らない」「それが山ってもんだ」と平然と言い放つ――。

これは、ガスライティングと言われる心理的虐待に近い関係です。


🪢 クライミングに見える“愛着の歪み”

こうした人々の多くは、自身の内面に未解決の問題を抱えています。

  • 女性を“母親”として理想化し、依存しようとする

  • 批判を受け入れられず、他者の悩み…往々にして恐怖心…を「弱さ」として扱う

  • 共依存関係に持ち込んで、相手をドレイヤーとして利用しようとする

つまり、山という極限の場が、未熟な精神構造を露呈させる舞台になってしまうのです。


🌱 初心者のあなたへ:人を見抜く力を、装備の一部に

だからこそ、技術や道具と同じくらい、

「誰と登るか」を見極める力が必要です。

  • あなたを一人の人間として尊重してくれるか?

  • 自分の弱点や非を認める謙虚さを持っているか?

  • 「あなたの命」に対して、真摯な責任感を持っているか?

これらは、装備以上に大切な“心の安全装置”です。


🧭 最後に

クライミングの場に現れるのは、岩や風景だけではありません。

その人の“精神の成熟度”が、むき出しになります。

あなたが誰かとロープでつながるとき、

 それは「一緒に山を登る」というだけでなく、
 「その人の倫理観と、自分の命を結ぶ」ということ。

リードするのは、力だけではありません。

成熟した父性と、他者への深い敬意こそが、本当に山で人を導く力なのです。

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