🧗♂️**「命を預ける」関係性に潜む心理的リスク 〜クライミングと“父性”の話〜**
クライミングは、ただのスポーツではありません。
それは、他者に命を預ける、極めて相互依存的な活動です。
とくにアルパインやマルチピッチなど、命綱を介した「リードとセカンド」の関係は、
心理的には信頼・倫理・責任感に支えられた“見えない契約”でもあります。
ところが、現実にはこの関係がねじ曲げられている場面が少なくありません。
🧠 見えない危険:「男性性」が暴走し、「父性」が不在なとき
一部のクライマーには、
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筋トレや高いグレードを登ること「強さ」ばかりを追い求め、
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ロープワークやレスキューワークの無知という「自分の弱点を認識せず」、
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相方の命を預かっていることの倫理的重みを感じていない
――そうした人もいます。
これは、“男性性(支配・誇示・挑戦)”だけが肥大化し、“父性(守る・導く・責任を持つ)”が未発達な状態です。
この歪んだバランスのまま、リードに立つと、「山は自己責任」という言葉が、相手に責任を押しつける免罪符になってしまいます。
逆に言えば、伝統的なアルパインの世界観では、ある人がリードを預けられていない時、その人の中には、「リーダー性」つまり「他者の命を預かる責任感」が育っていません。
命の危険があるときですら、「落ちなければビレイは要らない」「それが山ってもんだ」と平然と言い放つ――。
これは、ガスライティングと言われる心理的虐待に近い関係です。
🪢 クライミングに見える“愛着の歪み”
こうした人々の多くは、自身の内面に未解決の問題を抱えています。
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女性を“母親”として理想化し、依存しようとする
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批判を受け入れられず、他者の悩み…往々にして恐怖心…を「弱さ」として扱う
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共依存関係に持ち込んで、相手をドレイヤーとして利用しようとする
つまり、山という極限の場が、未熟な精神構造を露呈させる舞台になってしまうのです。
🌱 初心者のあなたへ:人を見抜く力を、装備の一部に
だからこそ、技術や道具と同じくらい、
「誰と登るか」を見極める力が必要です。
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あなたを一人の人間として尊重してくれるか?
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自分の弱点や非を認める謙虚さを持っているか?
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「あなたの命」に対して、真摯な責任感を持っているか?
これらは、装備以上に大切な“心の安全装置”です。
🧭 最後に
クライミングの場に現れるのは、岩や風景だけではありません。
その人の“精神の成熟度”が、むき出しになります。
あなたが誰かとロープでつながるとき、
それは「一緒に山を登る」というだけでなく、
「その人の倫理観と、自分の命を結ぶ」ということ。
リードするのは、力だけではありません。
成熟した父性と、他者への深い敬意こそが、本当に山で人を導く力なのです。
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